HAPPY BARISTAのキオク

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便利さの弊害

日本といえば

コンビニで手軽に美味しい食事を摂ることができたり、

ダイソーでさまざまな種類の雑貨を手軽に買うことができたり。

 

日本企業の成長のおかげで、海外では味わえない

"便利さ"を当たり前に生活の中に取り入れている。

 

UFO ESPRESSOの内容を考えているときに

その弊害にたどり着いた。

 

「"便利さ"は”本質の価値”を失っている。」

 

本質の価値を失いつつあるひとつが、コーヒーだ。

セブンイレブンなどのコンビニ各社では今、

「100円」で美味しいコーヒーが飲める。

しかも1杯ずつ豆を挽き、その場ですぐに抽出してくれる。

 

サービスが出始めた当初はそんなに美味しいものではなかったが

バリスタ界の著名人と味の開発など、凄まじい企業努力のおかげで

今は100円とは思えないコーヒーが味わえる。

ちょっと50円プラスすれば、シングルオリジンが楽しめたりと

正直バリスタ目線で見ても素晴らしいし、味も申し分ない。

 

これは確かに消費者からすればとても嬉しいこと。

 

ただ、私の誇りを持って愛を持ってする職業

「バリスタ」から見て、受け入れ難い部分がある。

 

 

バリスタやコーヒーの発祥とされるイタリアの文化では

バリスタがお客さんが楽しめる美味しいコーヒーを作り、

それを飲む素敵な空間をつくり、

お客さんもそのコーヒーを楽しみに

家から出て、そこに誰かと行くという

楽しみがあったはずじゃないだろうか。

 

1杯500円のコーヒーには、もちろん原価と

バリスタの技術、空間に対する価値

そうゆうものまで含まれている。

 

コンビニコーヒーが安価で高品質なものが買えるようになったことで

コーヒーに対して100円以上支払う意味、

カフェまで出向く意味、を感じられなくなる消費者が多いことで

コーヒーの元々持っていた価値や文化までもが

失われつつあるだろう。

 

その結果カフェなどの飲食業界で街や地元を盛り上げようと

夢見る若者や、その職につく人々の労働の機会までもが

失われている。

 

便利さによって解消される不便や困りごとも確かにあるが

その反面で大切なものに気づけなくなってしまう。

 

若者が感じて経験する機会が消えると

それに気持ちを持つ人々がどんどん少なくなり、

文化が消滅し、何が残るのだろう。

 

珈琲屋をやろうとしている私にとって

スタバなどのコーヒー大手企業よりも

コンビニコーヒーというものが一番の敵になるだろう。

 

向き合って考えて準備していかなければならない。